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福岡高等裁判所 昭和30年(ネ)597号 判決

控訴人 原告 日興産業株式会社 代表取締役 尾上勝弘

訴訟代理人 上野開治

被控訴人 被告 浜平勇吉

訴訟代理人 中馬新之助

主文

本件控訴を棄却する。

当審における控訴人の新たな請求を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人は「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人に対し、一七二、五〇〇円及びこれに対する昭和二六年一月一日から支払ずみまで、年五分の割合による金員を支払うこと。訴訟費用は、第一・二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を、被控訴人は、主文同旨の判決を求めた。

事実及び証拠の関係は、控訴人において「(1) 本件賃料一五、〇〇〇円のうち、被控訴人が控訴会社代表者に送金して支払うべきその半額七、五〇〇円の支払期限は、毎月その月末までである。(2) 本件建物の賃貸借は、昭和二四年一月一一日原審共同被告であつた外園徹と被控訴人の両名が、控訴会社代表者と交渉し、ハイウエイ自動車整備工場経営者の一人である訴外の外園俊名義で、同工場の事業用建物として、控訴会社から賃借し、また、事実同工場の事業用に使用されたのであるから、賃借名義人のいかんを問わず、同工場の経営者がすなわち賃借人である。しかして、外園俊は、同年二月頃すでに病気のため、同工場の実際上の経営から離脱し、被控訴人が、その主たる経営者として実際その運営にあたつたので、被控訴人が本件建物の賃借人というべきである。かりにしからずとするも、被控訴人は、同年二月頃、外園後から同工場を転借したものというべきであるから、当審においては、新たに予備的に転貸借契約に基いて、転借人たる被控訴人に対し本位的請求と同額の賃料の支払を求める。(3) 被控訴人がハイウエイ自動車整備工場の経営者であるとの点について。同工場が実際事業を開始した昭和二四年二月頃から、被控訴人は、控訴人が右工場において所有した工具の保管責任者となり、同工場を独占経営し(甲第一・四・五号証)、被控訴人名義で、自動車等の修理見積書を提出し、修理代金を領収し、対外的にも公然と同工場の経営責任者として行動している(甲第八号証の一から七まで、第九号証の一・二)。鹿児島県庁は調査の上、被控訴人が同工場の経営者で、自動車等の修理代金の債主であると認定している程である。(4) 以上の主張が認められないにしても、右工場は、被控訴人と訴外外園俊・外園徹・外園シゲ三名との共同経営するところであるか、あるいは、右四名から成る民法上の組合の経営するものである故に、本件工場の賃貸借は、商行為であるので、賃料債務は、被控訴人及び右三名が連帯して支払うべきものというべく、よつて、この原因事実に基いて、予備的請求として、被控訴人に対して、賃料全額の支払を求める。(5) 被控訴人は、右工場の経営者の一人である外園シゲらの要望により、同工場をその器具、工員とともに、譲り受け、鹿児島市松原町にこれを移転し、ハイウエイ自動車工場という前主の商号を続用して、被控訴人単独で経営したが、その後これを会社組織に改めている。もつとも、譲受後の続用商号は、ハイウエイ自動車修理工場で、従前の商号は、ハイウエイ自動車整備工場であり、その間整備と修理との差異はあるが、ともに自動車の修繕を意味し、商号の同一性認識の主要部分においては、異るところはないので、ハイウエイ自動車工場という商号として、前後同一性を保つて失うことはない。また、商法第二六条にいう営業の譲渡・譲受中には、売買、贈与その他譲渡当事者間の契約に基くものの外、現実に前主の営業と同視すべき営業行為を後主が引き続きなしている場合をも、包含することは、同条の設けられた趣旨よりして明らかである。」と述べ、当裁判所の調査嘱託に基く鹿児島県知事の回答書を甲第九号証の一・二として援用し、当審証人渡辺昇の証言、当審控訴会社代表者本人の尋問の結果を援用し、乙第六号証の一・二の成立を認め、被控訴人において「控訴人主張の原判決事実一に記載の建物四棟全体を訴外の外園後が、昭和二四年一月一一日一ケ月の賃料を一五・〇〇〇円とし、内七・五〇〇円は借地料として同訴外人から直接控訴会社に対する右建物敷地の賃貸人石原信哉に支払い、残余の七・五〇〇円は、福岡市に居住する控訴会社代表者に、毎月その月分を月末までに送金して支払う約で、控訴会社との間に賃貸借契約を締結したことは争わない。ただし、賃借人たる外園俊が使用のため、引渡を受けたのは、控訴人主張の原判決事実二に書いてある本件建物二棟のみで、他の二棟は、第三者が占有していたため、控訴人においてこれを外園俊に引き渡すことが不能であつたので、この部分については、控訴人は賃料を請求し得ない。控訴人主張の前示(2) から(5) までの事実は、すべて争う。被控訴人は、ハイウエイ自動車整備工場とは、全く関係がなく、従来答弁したように、同工場建物の賃借人ではなく、同工場は控訴人のいうように共同経営にかかるものではないので、もとより被控訴人は、その共同経営者の一人ないし転借人でもなく、同工場の営業を譲り受けたこともないのである。外園俊は、右工場経営中不幸にして病魔におかされたため、その実母外園シゲ・実兄外園徹等が事業を経営したが、肝心な俊の病気が永引いたので、工場の維持経営ができず、遂に同工場の営業は廃止されるにいたつた。その後被控訴人が他の者と共に、有限会社ハイウエイ自動車修理工場を松原町で設立したことは、事実であるが、被控訴人において、外園俊の名称及び同人の営業を譲り受けたことはなく、右会社は全く別個の会社である。要するに、被控訴人は、本件賃料の支払義務はない。」と述べ、乙第六号証の一・二を提出し、当審被控訴本人の尋問の結果を援用し、甲第九号証の一・二の成立を認め、甲第八号証の一から七までの認否を改め、その成立を認め、原判決三枚目裏三行から四行にかけて「第二号証の一、二、」とあるのは、「第一号証の一・二」の誤記である。すなわち、甲第一号証の一・二は不知であると述べた以外は、原判決の「事実」に示すとおりである。

理由

控訴人主張の原判決事実摘示一の事実及び訴外の外園俊を賃借名義人として、控訴人との間に、控訴人主張にかかる内容の賃貸借契約(ただし、賃貸借の目的たる家屋を、被控訴人は、工場三棟及び事務所一棟の四棟であるといい、控訴人は、右四棟の中建坪六四坪及び六坪の工場二棟のみと主張して争がある。)が、昭和二四年一月一一日成立し、その頃、建坪六四坪と六坪の工場二棟(以下本件建物と略称する。)の引渡がなされ、ついで、自動車の修理等を目的とするハイウエイ自動車整備工場(以下本件工場と略称する)が、事業を開始するにいたつたことは、当事者間に争がなく、(一)この争のない事実と、(二)成立に争のない乙第二号証により認めうる控訴人が昭和二五年九月二八日付書留内容証明郵便をもつて、本件工場の代表者を外園シゲと明示して、工場建物について賃貸借の本契約もしないで、事業を開始し、かつ、一月分の賃料も払わないのは不都合であるとて、同人に対し賃貸借を解除し、本件工場の明渡を求める旨通告したこと。(三)ついで、成立に争のない乙第四号証のように、控訴人は同年一一月一一日(乙第四号証はたんに一一月一一日付となつているが、右(一)の当事者間に争のない事実と同書証の文面とを対照すると、昭和二五年一一月一一日付のものであることが明らかである。)右外園シゲに対し、「貴殿方が工場建物を使用しながら、少しも賃料を払わないが、仲人を入れず一度直接会つて解決方法を話し合い度い。」旨申し入れていること。(四)越えて翌昭和二六年一月にいたり、控訴人は、成立に争のない乙第三号証に見るとおり、右外園シゲ及び被控訴人(の外、当事者弁論の全趣旨により認定できる本件建物の敷地の所有者ではあるが、本件建物の賃貸借の当事者でも、賃料支払義務者でもない、信義こと石原信哉をも被告として)同被告等を相手取り、鹿児島地方裁判所に対し、控訴人所有の鹿児島市塩屋町所在(同号証には同町一八番地の工場と書いてあるけれども、当事者弁論の全趣旨及び当審控訴会社代表者の供述によると、同町二〇番地の五所在の工場を指すことが明らかである。)の工場を一月の賃料一五・〇〇〇円と定めて賃貸したと称し、賃料等請求の訴を提起したのであるが、該訴状においては、賃貸借の目的物が特に本件建物二棟に限定されていることを記載主張していないこと。(五)控訴人が原審第一回口頭弁論期日において、本件四棟の建物全部につき、賃料一ケ月一五・〇〇〇円として、控訴人主張にかかる内容の賃貸借契約が成立したと主張し、被控訴代理人の問に対しても、重ねて、右四棟全部について賃貸借が成立した旨答え(記録一二丁・訴状第一項から第五項まで参照)、同第二回口頭弁論期日において、これを改め被控訴人が賃借を申し入れたのは、本件建物二棟のみである旨釈明している、控訴人の原審における弁論の全趣旨。(六)原審控訴会社代表者の供述によつて認められる同会社が本件四棟の建物において、昭和二三年三月まで、自動車修理業を経営し、その頃これを閉鎖したこと。(七)成立に争のない乙第一・五号証、原審共同被告であつた外園徹の尋問の結果によつて成立を認める甲第一号証の一・二、成立に争のない甲第三号証・第八号証の一から七まで、同九号証の一、二、(八)原審証人外園シゲ・外園俊・堀之内敬吉・米満辰己・石原信哉・東郷豊一郎の各証言、原審証人外園淑の証言の一部、原審及び当審証人渡辺昇の証言の一部、原審及び当審被控訴本人の尋問の結果、原審共同被告外園徹の尋問の結果の一部の以上(一)ないし(八)に、当事者口頭弁論の全趣旨をかれこれ合わせ考えると、つぎの事実、すなわち、

訴外の外園俊は、昭和二三年暮頃まで、進駐軍の車輌修理に従事していたが、これについて特別の技能を有していたので、進駐軍関係者から独立して自動車修理工場を営むよう勧められ、たまたま、控訴会社が昭和二三年三月頃まで、自動車修理工場に使用し、その後は休業閉鎖していた、同会社所有の本件一連四棟の建物を借り受けて実母外園シゲ及び兄外園徹と協議の上、三名共同して右建物を使用し、自動車修理業を始めようと決意し、母外園シゲの亡夫高野藤兵衛の生前、同人と親交があり、また右四棟の建物所在地の地主で控訴会社に対する同土地の賃貸人石原信哉とも、ともに鹿児島市市会議員同志であつて知友の間柄である被控訴人に、これが賃借方を依頼したので、被控訴人は、昭和二四年一月一一日右外園徹(当時高野徹とも称していた。)から旅費を出して貰い、同人および右建物所在土地の滞納借地料の請求におもむいていた石原信哉とともに、福岡市に居住する控訴会社代表者尾上勝弘を訪ね俊とシゲ・徹の三名が共同し自動車修理業を営むために、前示四棟の建物を賃借されたい旨交渉したところ、控訴会社は、これを諒承し外園俊に対し、右四棟の建物全部を、賃料一ケ月一五・〇〇〇円とし、うち七・五〇〇円は、借地料の滞りがあつたので俊から直接地主石原信哉に支払い、残余の七・五〇〇円は右尾上勝弘に毎月月末までに送金支払うという約旨で賃貸することを承諾したが、当時右建物には他人がはいつていたので、これが明渡を済まして、四棟全部を引き渡した際、改めて俊を賃借人とする右賃貸借契約についての公正証書を作成することにした。(控訴人の主張するように、被控訴人を実質上の賃借人としたのではない。)かくて、控訴会社は、同年一月に解雇したその社員東郷豊一郎が、右四棟のうち一棟に居住し占有しているのを早急に立ち退かせるための手配などはしたものの、結局賃借人俊が引渡を受けたのは、本件建物二棟にすぎず、他の二棟の建物は、約旨に反し、控訴会社が賃借人をして、その使用収益をなしうべき状態におかなかつたため、約定の公正証書は作成されるにいたらず、本件建物のみについての賃料も取りきめられないまま、進駐軍関係者から得た資金などで、俊は、母シゲ及び兄高野徹を共同事業者(組合員)とし、ハイウエイ自動車整備工場という名称の下に、機械工具を使用し相当数の工員らを雇用し、本件建物で自動車修理等の事業を開始したが、いく日も経たないで、昭和二四年二月一〇日頃急性肺炎を煩つたことから肺結核に移行発病して病臥する身となり、その後間もなく、徹は意見の相違から、弟の俊及び母シゲと不仲となつて、両名暗黙の承諾の下に、右組合事業から脱退してしまい、本件工場は右両名の共同事業となつたが、俊は療養中であるため、国民金融公庫が開業した後は、同公庫から資金を借用するなどして、シゲが、被控訴人や従業員らの援助協力の下に、これを維持継続して行つたのであるが、昭和二四年一一月頃からは、被控訴人も本件工場の経営に加入して、共同経営者(組合員)の一人となり、鹿児島県庁から請け負つた車輌修理の代金の請求及その領収なども「ハイウエイ自動車整備工場浜平勇吉」の名義をもつてなすなどの業務を執行したとはいうものの、本件工場は肝要な俊が病臥中である上に、女のシゲが主として経営した事情などの為、控訴会社に対する賃料さえ支払い得ず、(もつとも賃料がきまらなかつたので支払う訳に行かなかつたこともその一因である。)昭和二五年九月二八日には、控訴会社から前示(二)のような通告を受ける状態となり、その後遂に経営不能となつて工場は閉鎖されるにいたり、(控訴会社に対する賃料債務の弁済は別として、)閉鎖に伴う残務整理も大体片付いた頃、本件工場の一部工員らの懇請もあり、被控訴人は、その管理していた、鹿児島市松原町に工場を建築し、本件工場の営業譲渡を受くるがごときことなく、これとは全く別個の、ただし名称は本件工場に類似する、ハイウエイ自動車修理工場という自動車修理等を目的とする被控訴人単独経営の工場を設けて経営し、その後間もなく、他の社員とともにこれを有限会社ハイウエイ自動車修理工場に改組した上、被控訴人において、その代表取締役となり、本件工場の従業員の一部をこれに採用吸収したということの各事実が認められる。

以上の認定に反する甲第五号証・乙第二・三号証、原審証人尾上菊子・外園淑・外園俊、原審及び当審証人渡辺昇の各証言、原審共同被告外園徹・原審及び当審控訴会社代表者・同被控訴本人の各尋問の結果は、右認定に供した訴訟資料並びに証拠と対照し、採用し難く、甲第四・六号証・第七号証の一・二は、以上認定の妨げとはならないし、その他に反証はない。ところで、以上の認定によると本件建物の賃借人は、訴外の外園俊であつて、同人は、自動車の修理等の経営を目的とする工場とするため、控訴会社から本件一連四棟の建物全部を賃料一ケ月につき、一五・〇〇〇円の約で賃借したところ、控訴会社が、俊に引き渡したのは、本件建物二棟だけであつて、他の二棟の建物は約旨に反し、控訴会社が賃借人たる俊をしてこれを使用しうべき状態におかず、終始同二棟の建物を使用せしめることがなかつた以上、たとえ、本件四棟の建物全部について賃貸借契約が成立したとはいえ、賃借人において(本件建物の賃料を支払う義務があるのは当然であるが)他の二棟の建物の賃料を支払う義務はないといわなければならない。(大正一四年七月一〇日・昭和七年一〇月二五日の各大審院判決。なお、昭和九年六月一三日・昭和一一年一〇月三日・昭和一二年九月六日の各大審院判決参照)控訴会社は、本件建物の約定賃料は、一ケ月につき一五・〇〇〇円であると主張するけれども、先に排斥した証拠を除いて、これを認むるにたるものはなく、また、本件建物のみの賃料が一ケ月につきなに程をもつて適正相当であるかという点については、本件に現われたすべての証拠によつても、少しも明らかでないので、かりに被控訴人が控訴人主張のような事由によつて、本件建物の賃料を支払う義務があるとしたところで、控訴人において本件建物の賃料の額を立証しないかぎり、本訴請求はすでにこの点において、失当であるから排斥するの外はない。しかし、控訴人は、事実摘示のとおり、あまたの請求原因事実を主張して、被控訴人に対し、本件建物の賃料を訴求しており、また、前示(四)のように、かつて賃料請求の訴を提起したこともあつて(もつとも、この訴は、前認定の証拠によると、取下とみなされて終了した。)本訴は、再度の訴訟でもあるので、少しく詳細に判断することとする。

前認定によれば、外園俊は、同人とシゲ及び徹の三名から成る組合を代表し、控訴会社との間に、本件四棟の建物において、組合事業たる自動車等の整備修理業を経営するため、同建物の賃貸借契約を締結した上、本件建物の引渡を受けて、おそくとも昭和二四年二月一日には、右組合において相当数の工員を雇用して、機械工具を使用し、自動車等の整備修理業を開始したことが明らかであるから、右組合は、自動車の修理の引受を業とする点において、商法第五〇二条第二号後段の加工に関する行為を営業としてなすもの、すなわち、商行為を業とする組合であり、その後徹がこの組合から脱退し、昭和二四年一一月頃被控訴人が同組合に加入した後は、俊・シゲ及び被控訴人三名から成る商行為を業とする組合として存続し、俊をその代表者とする、控訴会社との賃貸借契約も、依然継続されたものと解すべきである以上、賃貸人が商人たる事実と相まつて、右賃貸借は商行為であることはもちろん、その賃料債務は商行為によつて生じたものであるので、被控訴人は、組合に加入した時より以前に生じた賃料債務については、加入によつて取得した組合持分の価額を限度とし、俊・シゲと各自連帯し、加入後の賃料債務については、かかる限度なく、右両名と各自連帯して、これが支払をなすべき義務があると解しなければならない。

一方被控訴人が前示営業を営む組合に加入し共同事業者の一人として、業務を執行したということは、他に特段の事情の認められない本件においては、本件建物賃貸借の方面からいえば、控訴人主張のように、賃借人たる俊が被控訴人に対し、本件建物を転貸したものと解するに妨げなく、控訴人において、あらかじめ、本件建物の転貸を許諾していたことは、当事者口頭弁論の全趣旨に徴し明らかであるので、被控訴人は、右加入と同時に、以後本件建物の賃料の支払につき、転借人として直接賃貸人たる控訴人に対し義務を負うものというべきである。とはいうものの、前説示のとおり、本件建物だけの賃料額は、不明であるし、被控訴人の支払うべき転借料額も、もとより明らかでないので、この理由からして、控訴人の請求は到底認容することはできない。かように、賃料債権のあることを認めながら、その額が明らかでないという理由で、請求を排斥するのは、本訴が二度目の訴訟でもあるので、当裁判所として、決してこのむところではない。しかし、ひるがえつて、考えると、控訴会社代表者尾上勝弘は民事訴訟については相当の経験者であり(このことは、尾上勝弘が個人として、あるいは同人が代表者たる控訴会社が当事者である当裁判所第二民事部に係属する昭和三二年(ネ)第二〇号事件、同事件に現われる鹿児島地方裁判所昭和二六年(ワ)第一三一号事件、その控訴審である福岡高等裁判所宮崎支部昭和三〇年(ネ)第一七号事件、同第二民事部に係属中の昭和三二年(ネ)第二二号事件の外、同部に係属する昭和三二年(ネ)第七五九号事件等の審理を通じ当裁判所に顕著なことである。なお、乙第三号証の訴訟を参照。)しかも、本訴は法律専門家である弁護士を訴訟代理人に選任して訴訟を開始追行し、同代理人において、前示(五)のとおり、本件四棟の建物全部の約定賃料が、月一五・〇〇〇円であると主張したのを、再考の末、本件建物のみの約定賃料が、月一五・〇〇〇円である旨改め、かつその証拠も提出援用している本件において(もつとも当裁判所は、評議の結果これを採用できないとしたのであるが)、当裁判所または当裁判所の裁判長が、月一五・〇〇〇円の賃料は、四棟全部の賃料であつて、本件建物のみの約定賃料の存することは、認めがたいことを予じめ前提して、本件建物のみの相当賃料額についての証拠を提出申し出るよう釈明しなかつたにしても、これがため、釈明義務を怠り、ひいて、審理を尽さなかつた違法があるとは、いえないであろう。

つぎに、商法第二六条に基く控訴人の請求について判断する。

営業の譲受人が、譲渡人の商号を続用する場合において、譲渡人の営業によつて生じた債務につき、譲受人もその弁済の責に任ずる旨の同条第一項の規定は、営業の譲渡があるときは、(1) 譲渡当事者間においては、反対の意思表示のないかぎり、営業上の債務も譲受人に移転するのが通常であるけれども、債権者に対する関係においては、債務引受等の行為がないかぎり、譲受人は、当然には債務者とはならない道理であるが、各個の債務について債務引受等の契約をなすことは、その繁にたえないばかりでなく、大規模の取引の多い営業にあつては、時にこれを実行することの困難不可能な場合もありうるし、(2) 他面、譲受人が譲渡人の商号を続用して、譲り受けた営業を継続する場合は、営業上の債権者は、営業主に交替のあつたことすら知らず、譲受人たる現営業主を、自己の債務者と考えて怪しまないのが一般であろうし、かりに、債権者が、営業譲渡の事実を知つたとしても、営業譲渡にともない債務の引受ないし履行の引受があつたものと考えるのが、取引の常態であるところからして、営業譲渡の存在すること及び譲受人が譲渡人の商号を続用することの二つを前提要件として、譲受人にも、営業上の債務を弁済する義務があるとしたのである。同条項の規定の主意が、右のとおりである以上、前認定のように、すでに、営業の譲渡がなく、本件工場が閉鎖され、その整理も大方終つた後ただ、被控訴人が従前の商号(ハイウエイ自動車整備工場)に類似する商号(ハイウエイ自動車修理工場)を使用し、本件工場と別異の場所において、本件工場の営業と同一の営業を経営したからといつて、同条項によつて、被控訴人に、本件建物の賃料債務を弁済すべき義務があると解することはできない。

されば、被控訴人に対し本件建物の賃料の支払を求める控訴人の請求は(当審における新たな請求を含めて)、すべて理由がなく、当該請求を排斥した原判決は結局相当で、控訴を理由なしと認め、民事訴訟法第三八四条・第九五条・第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 秦亘 裁判官 天野清治 裁判官 山本茂)

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